テレビで見ない日はないくらい大活躍されている大泉洋さん。
僕が大泉洋さんを知ったのは、20年以上前のテレビ番組パパパパPUFFYだったと思います。
PUFFYの大貫亜美さんと吉村由美さんの深夜番組だっと覚えがありますが、時々、大泉洋さんが出てて、PUFFYの2人にいじられていたのが面白かったです。
大泉洋さんは天然パーマの髪型が印象的で、その時はあまり面白いという印象はなかったような気がします。
その後、水曜どうでしょうで大ブレイク!
毎週楽しみに観ていました。
そして、全国のグルメを紹介するおにぎりあたためますかという番組が始まりました。
その番組で愛媛に来られた時に、八幡浜(やわたはま)市のロンドンという、八幡浜ちゃんぽんで有名な食堂でロケが行われました。
その道中で、大泉洋さんが「僕の母親は、八幡浜出身なんだよね」とボソッとつぶやいたのです!
僕は、「マジか!!!」と衝撃を受けました。
そして、どういう経緯で愛媛から遠い北海道に移り住んだのかが、すごく気になったのです。
NHKの番組「ファミリーヒストリー」で謎が解明!
先日放送された、NHKのファミリーヒストリーで、やっとその謎が解けました。
大泉洋さんのお母さんは、清水正子さんといって、昭和12年(1937年)愛媛県八幡浜市で生まれました。
私事ですが、なんと、僕の父と同じ生まれ年です。
しかも、正子さんは大正町に住んでいたとか。
父も、大正町にごく近い場所で生まれ育ちました。
もしかして、松蔭小学校の同級生で、クラスメートだったのかもしれません。
話は遡って、大泉洋さんの曽祖父である肇(はじめ)さんですが、愛媛県の県庁所在地の松山市に住んでいました。
松山市駅の駅長を務める立派な方だったようです。
ちなみに、松山市駅というのは、国鉄の松山駅(現在のJR松山駅)と離れた場所にある、私鉄の伊予鉄道のターミナル駅です。
そして、肇さんの息子、大泉洋さんの祖父の泰(ゆたか)さんは、松山東高校から慶応義塾大学に進学し、愛媛の伊予鉄道電気に就職。
八幡浜支店に転勤になった時に、大泉洋さんのお母さんである正子さんが昭和12年に生まれたのです。
しかし、昭和16年の配電統制令により、運輸部門と配電部門が国の政策で切り離されたり、戦争に召集されたりしたことで、泰さんは仕事を失います。
そしてなんと、6人の子どもを抱えて、一家で北海道の愛別町に移住することを決断したのです。
正子さんがまだ中学校に上がる前でした。
北海道に移住したのは、大泉洋さんの祖父の泰さんの決断によるところだったんですね。
北海道で成長した正子さんは、教師の夢を抱き、やはり教師を志した恒彦さんと北海道学芸大学旭川分校で出会い、交際することになるのです。
まとめ
NHKの番組のお陰で、北海道のスター大泉洋さんのお母さんが何故愛媛県出身だったのか?という長い間抱き続けた疑問が解消されて、スッキリしました。
来年米寿を迎える正子さんには、まだまだ長生きしてほしいものです。
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