ユーミン(松任谷由実)はなぜ別名義の呉田軽穂で作曲するのか?

ピアノ

ユーミンこと松任谷由実さん。

還暦を超えてもなお活躍し続ける歌姫ですね。

1972年に本名の荒井由実で活動を始め、1975年に音楽プロデューサーの松任谷正隆さんと結婚してからは松任谷由実に変更しています。

僕がユーミンの曲に初めて触れたのは、1981年にリリースされた守ってあげたいです。

今まで聴いたどの音楽とも違う印象で、子どもながらに軽いショックを受けたのを覚えています。

一番好きな曲は、荒井由実時代のファースト・アルバムひこうき雲に収められているベルベット・イースターです。

落ち込んでいる時でも、この曲を聴くと心が落ち着いてくるのです。

高校生の時に、クラスメイトからユーミンの曲をダビングしたカセットテープをもらったこともあります。

当時はLPレコードからカセットテープにダビングして、友達とやり取りしていましたよ。懐かしい!

何回もよく聴いていましたが、もうラジカセを処分したので、あのテープは聴けませんね(-_-;)

ユーミンの別名義 呉田軽穂(くれだ かるほ)

ユーミンはシンガーソングライターなので、ご自分で作詞作曲し歌うというスタイルなんですが、別名義でつくった曲をほかの歌手に提供するという活動も行っています。

その別名義の名前は、呉田軽穂(くれだ かるほ)といって、名前の由来は、グレタ・ガルボという世界的に有名な女優さんからきています。

グレタ・ガルボは1905年、スウェーデンに生まれ、“アンナ・クリスティ” “ロマンス” “ニノチカ”で、アカデミー賞に3度ノミネートされました。

生涯独身で通し、公の場にも姿を見せないミステリアスな女優さんだったそうです。

ユーミンは、そんなグレタ・ガルボが出演した映画が好きだったんでしょうね。

呉田軽穂名義で松田聖子に提供した曲

呉田軽穂名義でつくった曲は全69曲もあり、そのうち一番多く提供した歌手は松田聖子さんへの14曲です。

赤いスイートピーをはじめ、渚のバルコニーなどタイトルを見ればすぐに歌詞とメロディーを思い出す名曲ぞろいですね。

どれも名曲ばかりですが、特に “蒼いフォトグラフ” は、“青が散る” というドラマの主題歌で、毎週欠かさず見ていたので特に好きです。

青が散る” は、宮本輝さんが原作の切ない青春ストーリーという印象で、本当に楽しみに見ていました。

主演の石黒賢さんや佐藤浩市さんも若かった!

ヒロインは、二谷友里恵さんだったんですが、とてもキレイな方でした。

郷ひろみさんと離婚後、家庭教師のトライを創業した平田修さんと再婚し、現在は家庭教師のトライの社長を務めているんですね。

意外なことに、遠藤憲一さんも出ていたとは気づきませんでした。

それと、毎回ライブハウスで大塚ガリバーさんだったかな?人間の駱駝(ひとのらくだ)という曲を歌うんですが、この曲が心に残るんですよね。

秋元康さんが作詞、長渕剛さんが作曲の曲でした。

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呉田軽穂が生まれた理由

呉田軽穂名義でほかの歌手に提供するようになったキッカケは、作詞家の松本隆さんから、松田聖子さんに曲をつくってもらえないかという依頼からでした。

当初ユーミンは、この依頼を断ろうと思ったそうなんですが、違う名前でならと引き受けたそうです。

なぜ別名義にしたのかというと、もうすでに有名になっていたユーミンとしてではなく、純粋に作曲家として評価してほしいとの想いがあったのだそうです。

クリエーターとしてのプライドが感じられますね。

松本隆さんからの依頼がなければ、“赤いスイートピー” は生まれてこなかったんです。

ちなみに、ユーミンが先に曲を作って、松本隆さんがその曲に詞をつけるという順番だったそうです。

最後に、シングルA面の“赤いスイートピー” は名曲に間違いないのですが、僕はB面の “制服” を聴くと、学生時代の甘酸っぱい情景が一瞬でよみがえります(笑)。

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まとめ

凝った演出とパフォーマンスでファンを楽しませてくれるコンサートも相変わらず精力的に行っていますね。

一時期は、病気だったのか声が少し出なくなったのではないかと心配したこともありましたが、最近はまた昔のユーミンに戻ってきたようです。

これからもずっとユーミンの活躍を期待しています。

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