漫画家の松本零士さんがイタリアのトリノ滞在中に肺炎で体調をくずしたというニュースが流れましたが、回復されて無事帰国されたとのこと。
ホッと胸をなでおろしました。
松本零士さんはもう81歳なんですね。
少年時代の思い出
僕の少年時代には、宇宙戦艦ヤマト、銀河鉄道999、宇宙海賊キャプテンハーロックなど松本さんの作品があふれていました。
中でも僕が大好きだったのが銀河鉄道999です。
鉄郎とメーテルが銀河鉄道で宇宙を旅する話がカッコよく、ロマンチックに思えました。
メーテルのミステリアスな雰囲気も魅力的ですよね。
原作の漫画も読みましたが、テレビにかじりついてアニメも毎週楽しみに観ていましたよ。
エンディングの歌が哀愁ただようもので、番組を見終わってしまった寂しさが増幅されるように感じたものです。
高校時代の友だちの影響
高校生になると松本零士作品のことは忘れていたんですが、高2の時に知り合った友だちが松本零士さんのファンで、漫画をたくさん持っていたんです。
よく遊びに行っては漫画を貸してもらっていました。
その影響で自分でも欲しくなり、本屋で松本零士作品を買い集めるようになりました。
おこづかいが少なかったので多くはないんですが、蜃気楼フェリーアイランダー0、漂流幹線000、大純情くん、クイーンエメラルダスを買って、今でも本棚に大切に保管してあります。
松本零士さんと愛媛の関係
松本零士さんは、戦時中の小学校低学年の時に、両親の出身地の愛媛県大洲市新谷に数年間疎開していたことがあります。
松本さんは、後に大洲市新谷のことを「私の故郷、理想郷、アルカディア」だと言っています。
大洲の美しい田園風景と夜空の星のきらめきが、松本少年に大きく影響を与えたのかもしれません。
そういう縁がある関係で、大洲市新谷には銀河鉄道999の看板が掲げられ、メインストリートは999通りという名前が付けられています。
松本さんが通っていた新谷小学校の校門の側には、メーテルの像が建てられています。
校内には、松本さんが寄贈された壁画もあるそうですよ。
松本零士さんと楠本高子
松本零士さんはある時、楠本高子の肖像写真を見る機会があり、その美しさに驚嘆したそうです。
メーテルのモデルになった女性という話もあるようですが、その写真を見る前からすでにメーテルを創作していたようです。
ずっと追い求めていた理想の女性がその写真にあったのですね。
では、楠本高子とはいったいどういう人物なのでしょうか。
歴史をさかのぼる必要があります。
1796年にドイツで生まれたシーボルトが日本に渡り、長崎にあるオランダ商館医になったのは26歳の時です。
そして西洋医学を教える鳴滝塾を開くのですが、その鳴滝塾で学んだ大勢の生徒のうちの一人が愛媛出身の二宮敬作です。
二宮敬作は後に愛媛県宇和郡卯之町(現西予市)で町医者になります。
その時に、シーボルトからまだ子どもだった娘の楠本イネを預かり、育てながら医学の基礎を教えます。
楠本イネは、周りの人たちから医学やオランダ語を学び、日本で初めて西洋医学を学んだ女性産科医になります。
その楠本イネとシーボルトの鳴滝塾で学んだ石井宗謙との間にできた娘が楠本高子で、つまりシーボルトの孫にあたります。
高子は、ドイツ人の血が1/4混ざっているクォーターということになりますね。
少女時代は、祖母のもとで琴、三味線、舞といった芸事を習いながら育ちますが、13歳の時に母イネの師の二宮敬作の関係で、宇和島藩の奥女中になります。
その後2回の結婚をした後、東京で母イネと一緒に暮らすことに。
これは、僕が宇和島市にある天赦園に行った時に園内に展示されていたものです。
高子が一人目の夫の三瀬諸淵(三瀬周三)と結婚した場所が天赦園のようです。
この件からも、松本さんと愛媛には縁があるようですね。
まとめ
漫画家の松本零士さんと愛媛との深い縁について書いてみました。
僕が少年時代に夢中になっていた松本零士作品が、地元愛媛と深い関係があるということを知った時は、とてもうれしく誇らしい気持ちになりました。
ご高齢なので、ご健康にお気をつけて過ごしてほしいものです。
そういえば、僕は中学生の時に美術部員だったんですが、メーテルの絵を描いたことを思い出しました(*’▽’)
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