お花見・桜の開花情報!宇和運動公園2020年(愛媛県西予市)

宇和運動公園
愛媛県西予市にある宇和運動公園は、桜の名所として市民に親しまれています。

しかし、今年の宇和運動公園桜まつりは、残念ながら新型コロナウイルスの影響で中止になってしまいました。

大勢での飲食はしない方がいいと思いますが、公園内を散策して桜を楽しむくらいはいいのではないでしょうか。

スポンサーリンク

宇和運動公園の開花状況(4月2日撮影)

宇和運動公園
写真は平日の4月2日に撮影しました。

8分から9分咲きといったところでしょうか。

今週末(4日・5日)満開が予想されます。

池の人懐こい鴨も、春を喜んでいるようですね。

宇和運動公園
宇和運動公園では、何度もお花見を楽しんだことがあります。

けっこう花見客の数は多いのですが、広い池のほとりにすわって風に揺れる桜を眺めていると、心が穏やかになっていきます。

宇和運動公園

公園内には約700本の桜が植えられていて、提灯の夜間点灯も実施。
宇和運動公園
池が2つあり、鯉や鴨も多数生息して、癒してくれます。
宇和運動公園
体育館、陸上競技場、テニスコート、遊具広場など、スポーツ設備も充実しています。
宇和運動公園
ログハウスのあるキャンプ場もあり、バーベキューコンロも設置されていますよ。

お問い合わせは、宇和公民館(電話0894-62-0058)まで。

スポンサーリンク

宇和町の偉人 本多真喜雄

宇和運動公園の入り口に本多真喜雄さんという人の銅像が建てられています。


 多分偉い人なんだろうと思いますが、気になったので調べてみました。

本多真喜雄(1878~1951)

本多真喜雄さんは、卯之町銀行(伊予銀行の前身)頭取、県会議員・衆議院議員・宇和町長。
明治11年3月20日、宇和郡上宇和村(現西予市宇和町)久枝の素封家に生まれる。
京都同志社中学・第一高校を経て東京帝国大学独法科を卒業。
大学院で商法を専攻したが、父の死で帰郷して農業を営んだ。
明治40年9月県会議員に当選したが、翌年10月辞任した。
実業界に転じて、卯之町銀行頭取・宇和商業銀行頭取を務め、愛媛材木会社社長や宇和肥料・卯之町繭売買所取締役を兼ねた。
大正9年5月第14回衆議院議員選挙に憲政会から推されて第6区で出馬したが落選。
次の13年5月の第15回衆議院議員選挙では政友会の佐々木長治と激烈な選挙戦を演じわずか12票差で敗れた。
昭和5年2月の第17回衆議院議員選挙に第3区民政党公認で再出馬してようやく当選したが、昭和7年2月の第18回選挙では再び落選。
昭和11年2月の第19回衆議院議員選挙で当選返り咲くといった落選・当選を繰り返した。
昭和12年、代議士を辞して宇和町長に就任。
予讃本線の宇和町経由誘致などで政治力を発揮した。
そのほか、蚕業製糸方面でも活躍。
昭和26年12月18日73歳で没した。
昭和40年、宇和町が宇和運動公園内に銅像を建てて顕彰。
出典:『愛媛県史 人物』より

ちなみに、本多真喜雄さんの弟さんの西村弥三郎さんも有名な方のようです。

西村弥三郎(1890~1981)

西村弥三郎(にしむら やさぶろう)さんの旧姓は本多、幼名は恭礼。
愛媛県東宇和郡宇和町久枝(現・西予市宇和町久枝)で本多好礼の三男として生まれ、1908年(明治41年)宇和島中学校(現・愛媛県立宇和島東高等学校)卒業とともに八幡浜の素封家・西村家(泉屋)の西村ヒサ方に養子入籍し、当主となる。
第五高等学校(現・熊本大学)を経て、1918年(大正7年)東京帝国大学法学部を卒業し、2年間銀行に勤めたのちに郷里に戻り、家業を継ぎ、名を弥三郎と改める。
第二十九銀行(伊予銀行の前身)取締役、八幡浜信用金庫理事長、西宇和郡社会事業協会理事長、壮年団長などを歴任したのち、1936年(昭和11年)3月に前八幡浜市長の酒井宗太郎が病没すると、第2代八幡浜市長に就任。
八幡浜駅の開業、大洲・八幡浜線の改良、臨港道路の建設、港湾修築事業の推進、市営乗合自動車の開業などに尽力した。
1940年(昭和15年)3月に市長を退任。
ほか、八幡浜史談会長や裏千家淡交会支部長などを務めるなど文化人としても活躍した。
出典:ウィキペディア

お2人とも、東京帝国大学を卒業され、銀行の頭取や、政治家として活躍されている優秀で人望が厚い方々なんですね。

スポンサーリンク

コメント

タイトルとURLをコピーしました